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  • Posted on
  • 2013,11
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『恥の文化』の巻

赤ん坊は語学の達人と言われています。

 

ある話によれば、たとえ複数の言語でも、話しかけられ続けると、徐々にそれらを理解し始めると言われています。

頭の柔らかさもあると思いますが、赤ん坊のもう一つの才能は、失敗を気にしないで話し続けることです。

意味を成さないような言葉でも、おかまいなしにどんどん声を発していきます。

 

小さい頃から何千何万という「まちがい」を繰り返す中で、いつのまにか思いのままに言語を使えるようになっていきます。

 

 

考えてみれば、私たち日本人自身が、そうした過程を経て、複雑で繊細な日本語を駆使できるようになっています。皆、本来、語学の天才なのです。

 

一方で、日本人が英語習得で伸び悩んでしまう一つの原因は、文化的に、「まちがえる」ことへの恥ずかしさや恐れが大きいからではないかとも思います。

 

話せるようになりたいのだけれども、「うまく話さなければ」と思うあまり、まちがえそうになると「恥ずかしさ」で無言になってしまう。

 

この葛藤は、日本人なら誰もが、痛いほどに経験したことではないでしょうか。

 

 

 

米国の文化人類学者ルース・ベネディクト『菊と刀』を著し、欧米の「罪の文化」に対し、日本の「恥の文化」という見方を提示したと言われています。(もちろん、これには賛否両論あります。)

 

 

「恥ずかしさ」というのは、他者がどう見るかを感覚的にとらえ、推し測りながら、自分の行動を調整してゆくための鏡ともなります。

 

 

そうした繊細さは、相手や周囲の思惑、雰囲気を読み取り、それに配慮しつつ応じてゆく振る舞いへと表れます。これは、日本で伝統的に培われてきた美点でもあります。

 

またそれ自体は、卓越したコミュニケーションのあり方だと言っていいでしょう。

しかしながら、それに気を使うあまり「言葉に出せなくなってしまう」傾向は、英語の習得には不利と言わざるを得ません。

 

逆に言えば、そこから来る「心の壁」をうまく転換できれば、英語のコミュニケーション力は、格段に伸びてゆくと考えられます。

 

 

その意味で、赤ん坊のように、百万回くらい「まちがってもいいや」というような大らかさで、飛び込んでみる気持ちは大事なのかもしれません。

心をパッと開いてみるような、ある種の素直さ、天真爛漫さ、素朴さ、その辺りに、語学習得の「心理的な秘訣」があるのかなと思ったりしたのでした。